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「しんぶん赤旗」3日付、タイガース・瞳みのるさんをとりあげる

ネット徘徊してまして、日本共産党しんぶん赤旗」の記事にびっくりしました。

引用元はこちらです。 →生きる意味を問いかけてくれた、瞳みのるさんの人間の権利へのたたかい - 日本共産党睦沢町議市原時夫です

ザ・タイガースといえば、GSのビッグネームです。沢田研二さんがボーカルでした。そのグループのドラムス担当だった瞳みのるさんが、日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に登場しているというのです。

(略)加橋さんが69年に脱退。瞳さんも、「かわいい子」調の歌ばかりでバラエティー番組でふざけさせられるという使われ方に、強い疑問を感じていました。
「所属事務所トップを堂々と批判しましたよ。『われわれの労働の対価はこれでいいのか』と。時には『搾取だ』という言葉も使ってね」。ほぼ50年前を振り返り、こう付け加えました。「高校(府立山城高校定時制)では、社会科学研究会や民青(民主青年同盟)にも入ってましたからね」
事務所との論議の決着がつかないなかで、タイガース脱退の決意(略)。

青春の経歴を明らかにしているところ、まあ、それも「反体制」に身を置いていたということですから、それを新聞記事で明らかにしているという、びっくりやら感心やら…。

71年1月の解散コンサート(略)。猛勉強の結果、翌年に慶応大に合格し中国文学を専攻しました。その後33年間、慶応高校で漢文と中国語を教えました。「(略)解散以後、ドラムのスティックはまったくさわらなかった」

自分に厳しい生き方だと思います。

2008年、そんな瞳さんの耳に「ロング・グッバイ」(記事にはなし→YouTube)という曲が聞こえてきました。岸部・沢田・森本共作で、瞳さんに向けて゛今なら笑って話せるだろう”と訴えかける内容でした。
(略)11年秋からの「沢田研二全国ツアー」に参加。しかしまだ加橋さんは顔を見せず。「僕も加橋と長時間話し合いましたよ。ようやく12年の秋に合意ができました」
「メンバーの誰にとっても、タイガースとは一生背負う大きな荷物”なんでしょうね」。その荷物の一つが、昨年12月に出た自著『花の首飾り物語』です。
68年のこの曲の懸賞募集作詞の女性を探しだし、その成り立ちに迫りました。さらに女性の出身地の町おこしに協力しようとしています。
67歳で迎えた新しい年。 日中の音楽交流史の探求を進めたい。日中関係は複雑ですが、長期的な目で、国民レベルでの友好を強めていくことが何よりも大切だと思います」

沢田研二さんが2008年に反核ソングの「我が窮状」(YouTube)(≒わが9条)を歌い、TAKAは「おお~っ!」と思ったです。タイガース解散からはすでに43年。今回、瞳みのるさんが、生き方を「しんぶん赤旗」で伝えてくれたことに、けっこうしびれたです。

ザ・タイガース 花の首飾り物語

ザ・タイガース 花の首飾り物語