以前見たときは思うように撮れていないと判断した写真ファイルフォルダを久方ぶりに見直しています。
2007年ころからの人物写真を中心に気になるフォルダをチェックしてみると、この6年ほどの間に自分の撮り方や、判断の基準が変わってきているのがわかります。
最初、人物撮影にまったく慣れていないころの写真に目がとまりました。わりと撮れていると思われる何枚かがありました。撮った、というよりは、モデル役の人が撮らせてくれた、というようなものだと思い至ることが多々あります。カメラの間、カメラマンの癖を早めに理解していいただき、上手に呼吸をあわせていただいたいうことでしょうね。
動きがある方がイキイキとすることもあれば、じっと何かを見つめている方がはるかに存在感がある場合も。
人物撮影の場合、モデルを務めていただける方がなければお手上げです。
撮ってきた写真を見ると、現在に近づくほどに無駄ショットが減っているようではあります。何を撮りたいか、どう撮りたいか、おぼろげに見えてきたということか、単にそういった妄想か…。
現在悩みの種は影であります。太陽という絶対的な「一灯」で生活している人間にとって、その反対側にできる影は、結果的に太陽の存在を示す、カメラマンの視点や立ち位置を示すものでもあります。人工灯だとそうはなりません。およそ、一灯では思ったような光と影ができませんし、多灯にすれば不要な影がどんどん増え手に負えなくなります。
さて…。いつになったら、自分がイメージするような光と影を手に入れることができるのか…。まずは、自分の下手さ加減を思い知れ、というようなドツボにはまっている数日であります。
今朝方、友人が個展を予定し写真の選択中、との電話をくれました。自然写真の分野で頑張っています。現地に通い、写真を選び、選んだ写真を並べ直し、というような、気の遠くなるような作業をくりかえしているのだろうと想像します。
水彩画家の友人が、描いたものをしばらくたって見直すと、意外といいじゃないか、というような発見があるのだと教えてくれたことがあります。描いたときはそのシーンに没入していて、冷静に絵自体を観察できてない自分が往々にしてあるのだとも…。
少し、時間をかけて見直すという作業も大切なんだと、自分が今やっていることも無駄ではないのだと、自分に言い聞かせているTAKAであります。