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写真を選ぶ眼:目的をしっかり握って、捨てる作業を忘れず。文字になる情報は足りているか?

とあるサイトの写真を眺めております。この写真は(サイト上にUPするという意味で)必要かどうか、という判断を試みています。ダラダラと多数をUPしたと思える写真を閲覧させられる側の印象がどういうものかなどとも思うのです。
一般的に、カメラというか「写真」が好きな人は「自己主張が強い人が多い」と、TAKAの写真の先生が教えてくれたことを思い出します。爺も写真が好きなわけで、自身のことをふくめ、マジマジと眺めながら、どう「捨てる」(=サイトに掲載しない)か、というようなことを考えているわけです。しかし、自己主張の強いカメラ好き、となると自身の自信作をたくさんUPしたい、と思う、まあ、自分に甘くなるというか…。

ある花火大会があったとして、その年、その時、その場所の出来事をどう伝えているか。単に写真の出来というだけでなく、何十年後かにそのサイトを見た人が、「あ~、当時はこうだったんだ」というような写真を残したいと思うのです。花火より浴衣の柄が時代を反映しているということもあるでしょう。場所や季節がよくわかり、説明的に捉えられているというのも必要そうです。
個人サイトでない場合、そのサイトがもつ目的や性格によって、どのように掲載写真を選ぶか、しっかり検討する必要があるのだと…。印刷物と違い、サイトにはページ数の制限というものが(事実上)ありませんから、多数の「佳作」写真をUPしたいと思うのは、一方で当然のことかとも思います。しかし、閲覧側が同じ気分かどうかは検討する必要がありそうで、その間に悩みというか矛盾というか、そのような苦しみがあるのだろうと…。

矛盾の存在が発展の原動力でもあるわけですから、写真をお寄せください、ということと、掲載写真を結果的に絞る、という矛盾は、その一例であると思えます。提出したらすべてOKで掲載されるというのは如何にも合理的ではないでしょうし…。
そして、自分がわかることが他人も同様にわかるかどうか…。写真上に見えることが、文字になるかどうか、そういう情報を写真がもっているかどうか、ひとつの判断材料かな~と。いうなら「やや説明的な写真」というようなものが重宝されるのかとも…。ああ、これは現在格闘中のサイトでの写真選択の視点になるのかと、そのような独白なのでありますた~。