3日の夕方、散歩してまして、自民党のキナクサイ #約束とは異なる新しい判断 ( #アベノリスク の最たるもの)ということから「戦争だけはイケン」というお話をお伺いしました。日本の行く末を「太平洋戦争」の経験と重ね、心配しておられました。
そのなかで、岡山空襲の時、西大寺で黒い雨が降った、ということもお聞きしました。
岡山空襲
1945年6月29日、午前3時前から同4時頃に米軍B29、138機が約890トンの焼夷弾を投下。死者1737人以上、市街地63%が焼失などの大きな被害が出ました。
西大寺でも黒い雨
教えていただいたことを箇条書きにすると以下のようなことでした。
- B29が岡山上空で旋回しているのが見えた
- 爆弾は途中で火が点き、不謹慎な言い方だが「花火」のように見えた
- 雨が降った
- 田んぼの苗を作っている時期だった
- その田んぼに黒いすすのようなものがたまった
「黒い雨」を確認するため、長年お住まいの方にお尋ねしましたが、記憶にないというようなことでした。改めて、最初にお教えいただいた方にその点を含めお尋ねしたら、農家をやっていて、田んぼの水が流れ、たまるというようなことが周辺にあれば見ているかもしれないが、と言われ、自身が黒い雨を見たのは間違いないとのことでした。また、白いようなモノ(アルミ箔か?)も舞ってきたとのことでもありました。
市立東山公民館会館十周年記念事業として2010年6月に作成された「旭東・平井地区住民がみたあの日、あのとき 忘れてはいけない岡山大空襲の悲劇」には次のような記述がありました。
- 花火のようにぱっとひろがって、いくつもいくつも落ちてくる爆弾・焼夷弾(p10)
- 大火事の後には雨が降ると昔から言われていますが、あの日も夜が明ける頃から雨が降り始め、それは灰で汚れた汚い雨でした。(p21)
- 上空から火の玉が一個落ち二秒ほど後「パッ」とひかった瞬間、火の玉が七~八個の傘上に別れて、また火の玉が落ちる・・(p25)
- 上空を見上げると、しょうい弾が、まるで花火大会の花火を見るように、途中でぱっと炸裂して、ゆっくりと落ちてきました。(p28)
- 岡山ガスの辺りで雨が降りました。いわゆる、黒い雨です。(p32)
- 空から花火のような焼夷弾が無数に落ちてくる。(p59)
- 夜が明け始めると、避難していた住民が三々五々帰ってきた。そして黒い雨が降り始めた。(p60)
「岡山市百年史」上巻(1989)には「一瞬見上げた炸裂弾はちょうど大花火みたいだったが、あれが『モロトフの花かご』といわれたものであろう。」(p442)と記載がありました。
「西大寺町誌」(昭和46年5月発行)には、戦没者等の記載はありましたが、岡山空襲のとき西大寺ではどうだったのかなどの記載を見つけることができませんでした。