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芳野村と西大寺町の境界:2

芳野村と西大寺町の境界 - PageTAKA's blog」の続きです。

水路が暗渠になっていて境がわかりにくい

ココス西大寺店がある「西大寺南2丁目交差点」近くまでの南下は水路に沿ってというのがとある古い地図の記載ですが、北進する道路ができた時代との関係もありハッキリとわかりません。およそ現在ある「リトルマーメイドあかえだ」そばの水路がそうなのだろうと思います。
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西大寺南2丁目交差点」に至る手前で水路は西北西へ曲がっています。これが境ではないかと思います。ご近所でイロイロお話を伺ってみましたが、判然としませんでした。しかし、通った小学校の名前を糸口にしていくと、緑の線のような区切りになります。ただし、「天満屋ハピータウン」前の東西の道路直線ですが、昔は大きな道路が無く水路も曲がりくねっていたので、水路図と現在の地図を重ねないとはっきりとした位置はわかりませぬ、悪しからず。現在の家並みと重ねるとこういう区切りということかな、という程度にご理解のほど。

「金光薬品」近くでお尋ねしたら、西大寺町と芳野村の境を「○○さんの東に水路があって」とキッチリ覚えておられる方がおられましたので、まず間違いないと思います。現在そこは暗渠になっています。

西大寺南一丁目」交差点から南下する緑の線は不正確です。また、途中で線を止めているのにはわけがあります。

カネボウ工場跡地を田の字型に区切ったとしたら、左上の一角は芳野村在住の方の田んぼで7反ほどあったとのことでした。とある地図では、当時のカネボウ敷地内に記された境界は途中で記載が無くなり、西の方で改めて記載復活というような連続しない状態なのです。なので、今回の上の地図でも緑線を途中で止めました。

昭和10年、共栄舎石版部「西大寺町及附近著名商工業者案内図」

今回、資料として拝見したのは「西大寺町及附近著名商工業者案内図」です。1935年に「共栄舎石版部」(岡山市大学町)が印刷したものです。編集人は、「野上辰寄」と記載があり「豊村浜89番地」がその住所となっています。発行人は「英文社」(上道郡西大寺町)。

この印刷をお持ちの方に電話で問い合わせたところ、世間に出てないものなので、図版の利用は控えてもらいたい、とのことでした。直接ご紹介できないのが残念です。