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土屋賢二:6冊の本を読んだ。消化不良の美学

昨年10月初旬から、土屋賢二という作家の本を少し読みました。母親が脳梗塞で最初に入院した病院に図書室があり、そこで出会ったのが不運で不幸な読書の始まりでした。
その時の本は、われ笑う、ゆえにわれあり (文春文庫)でした。
この本は、読み終わるまでに母親が転院となったため、全部を読まずに済むという幸運に恵まれました。転院後、病院と自宅の往復の道すがらに古本屋さんがあり、そこで、運悪く土屋賢二の本が目に入り、買って帰らねばならぬ、とでもいうような声が聞こえ3冊。その三冊を読み終えると、今度は本屋で買え、というような声が聞こえ数日前に3冊を購入しすぐ読んでしまいました。
まことに、経済効率が悪い本です。普通、一冊買えばしばらく楽しめるものを、氏の本は、買った先から読まされるという悪い霊がついているようで、すでに、6冊も読まされたことになります。短い期間に同じ著者の本を複数冊読むというのは、極めて悪性のたたりではないのかと思うぐらいです。
金輪際、同じ本は読まないようにしようと心に誓っているところです。しかし、氏にはほかにも著書があり、それらを読むか読まないか…。
本来哲学者である氏の文章は、ココロにストンとおちることもあれば、ちょっと切れ味の悪いところもあって、妙に消化不良になります。それが、次は上手に書いているだろう、自分を笑いの渦に引き込んでくれるだろうという学者らしい深慮遠謀に基づく販売戦略なのであろうとわかるまで、6冊も購入するという失敗を爺は犯してしまいました。
このblogの読者諸賢におかれては、決して惑わされることなく、読んでも1冊限りと心にきめ試してみるのが良いのではないかと、思われます。ちなみに、読んだ本は以下の通りです。