昨日、「バレテ峠追悼碑建立記念誌」(B5判192ページ、バレテ峠追悼碑改修委員会、1985年6月発行)が届きました。
父方の叔父は、バレテ峠付近の当時「妙義山」で1945年3月29日戦死しています。これを記した鳥取県発行の軍歴証明を地図の上でも知ろうとネット徘徊していて、「バレテ会」のことを知ったのがきっかけです。
同誌の115ページに折込みのパノラマ写真と当時の地名などを書き入れた図版がありました。また、1944年7月30日現在の部隊舞台編成表から叔父の関係分を抽出コピーしていただき、結果、当時の所属部隊が「分隊」に至るまでわかりました。もっとも、所属が戦死時までそうだったのかどうかはわかりません。
鳥取県が送ってっくれた「軍歴証明」でわからなかったことがわかりました。
1985年当時に同記念誌発行を担われた方は、現在、ご存命ながら会話ができる状態ではないとのことをご家族から伺いました。バレテ会は、慰霊碑建立のほか、現地慰霊、県護国神社での慰霊祭などを行っておられ、その運営事務を現在担っておられる方は、戦死した方の弟さん、いわゆる遺族の方だそうです。
戦後70年近く経過し、当時を直接知る人はほとんどおられなくなるような時期になっているのではないでしょうか。色々調べている(≒ネット徘徊)うちに、ご存命の方に電話がつながりました。「知っていることは教えてあげる」とのことでした。直接叔父のことがわかるということは無いでしょうが、現地で苦労された方のお話を聞いておいても良さそうだと思っているところです。