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徳島県名西郡石井町、同板野郡板野町の役場に新たな資料なし

4月7日に板野町に行って、母方の戸籍のうちTAKAが写しを請求できるものを発行してもらいました。
そのなかに、二つばかり、調査すれば追加の資料が出てくるのではないかと思うところがあり、関係しそうな石井町と板野町の役場に行ってきました。

高祖母は名西郡下浦村の出身

TAKAの母方の父親(TAKAの祖父)は板野郡松坂村の戸籍でした。今回の調査対象は、TAKAの祖父の祖母ですから、TAKAの高祖母ということになるのでしょうか、「マチ」という名前です。「マチ」の記録は、4月7日板野灯役場で発行してもらった戸籍の写しからわかりました。

当時の住所は「名西郡下浦村」となっています。現在の名西郡石井町浦庄下浦になります。

それで、本日、石井町役場を訪ねたのですが、該当はないとのことでした。実父の姓もわかっていたのですが、それでもヒットしないということでした。

一方の町に記録が残り、他方には記録が無い、ということはままあるようです。

祖母ナカの死亡除籍、板野町役場で見つからず

TAKAの母方の祖父の母=TAKAの曾祖母「ナカ」は、明治19年に没したことがお寺の過去帳の写しにあります。そこには、「阿波郡藤太夫塚村」の●●姓の長女であったことが記してあります。現在関係ありそうなのは、「藤太夫須賀杉尾社」という神社で、「徳島県阿波市八幡本に鎮座する、八幡神社です。当社に合祀された」とのことで、それ以前の場所はよくわかりません…。「ナカ」の出身地である「阿波郡藤太夫塚村」が現在の阿波市のどこかだろうとは推測するのですが、それ以上は不明なままです。

そのようなこともあって、本日、板野町役場を訪れ、7日に発行漏れとなっている戸籍が無いか探してもらいました。結論としては、ありませんでした。TAKAは、母方の板野町での戸籍をふたつこれまでに発行してもらっていて、その中に「ナカ」の死亡除籍の記録がないもので、不思議に思って訪ねたというわけでした。

明治30年に北海道へ本籍移動していますので、まさか、北海道で没したのではないとは思いますが、ともかく、板野町役場にはこれ以上の母方の姓の記録はないのだということでした。

無い、ということがわかるのも大切な資料

この結果、石井町、板野町ともにこれ以上戸籍の資料は無さそうです。ちょっとがっかりでもありますが、無いということがわかるのも大切なことです。

気をとり直し、あとは「官」ルートではなく「民」で調べてみようと思います。