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庄原市役所東城支所で、祖父の戸籍調査

11日、鳥取県日南町に行く途中、中国道東城ICで降り、庄原市役所東城支所で、祖父の戸籍をしらべてきました。東城支所の職員さんにいろいろ調べてもらった結果、手元にある資料以上はありませんでした。

祖父は、広島県の旧小奴可村内堀の生まれのはずだが、戸籍には記載なし

祖父は、広島県の旧小奴可村内堀の生まれ、とTAKAの父親が教えてくれました。しかし、戸籍には出生地の記載がありません。内堀、共同墓地の端にある、ほとんど高さもなく、墓名もない自然石を父方の先祖の墓、と父親から教わりました。現在でもその場所はわかります。

そこは、おそらくA氏の墓ではないかと思います。祖父の姓は当時Bであったと戸籍の記録から読むことができます。

曾祖母は、出生地記載がなく、A氏と同じ旧小奴可村で亡くなっています。祖父は曾祖母の長男で、その弟(2男)はA氏に認知されています。2男はそれ以外の記載がなく、除籍になっていますので、A家に入ったのではないかと推測します。

戸籍の写しから読み解くと、曾祖母は2男を認知したA氏在所と同じ番地で死亡の記載があり、戸籍上の婚姻記録はないものの、A氏とともに生活し、3人の子どもに恵まれて、生涯を終えたのではないかと想像します。


ところが、庄原市(当時東城村)と日南町(当時多里村)における祖父の戸籍の関係部分が重ならないところがあるのです。移動すれば、出た、入ったなどという具合に双方に記録が残る筈ですが、庄原市には該当するはずの記載がないという…。

むかし、父親から聴いたことには、「昔は長男・長女の婚姻は籍が入らなかった。なので、いったん離縁したようにして、イロイロあったみたいだ。自分も結局3つの姓で呼ばれた」と…。

祖父は、祖母と結婚後に祖母姓Cとなっていたあと、ちょっと複雑な経過をたどり、祖父の姓はTAKAと同じDになっています。長男である祖父は鳥取県日南町で、3男は鳥取県日吉津村で、生活の地を得、すでに亡くなっています。2男の消息を次の機会に調べてみようと思います。