pagetaka

写真、PC、ネット、岡山、旅の話題をお届けします

紋別郡渚滑村に本籍があった

f:id:PageTAKA:20140519171917j:plain
母方の戸籍を調べています。

北海道紋別郡渚滑村(現・紋別市)に1915年から1922年まで本籍があった

本日、紋別市役所から、関係の戸籍が届きました。それによると、紋別郡渚滑村に本籍が7年間ばかりあったようです。

1897年(M30)に徳島県松坂村(現・板野町)から、北海道石狩郡花畔村(現・石狩市)へ転籍した記録が、板野町役場にはありますが、石狩市には対応する記録がありませんでした。花畔村になんらかの理由で入植できなかったのかと想像していましたが、紋別市からの戸籍の写しには、花畔村にいたことが記録されていました。

1897年から1922年

  • 1897年4月 曽祖父・官平が戸主:本籍移動、徳島県松坂村⇒北海道石狩郡花畔村
  • 1902年12月 祖父・喜平があと(花畔村)と婚姻
  • 本籍不詳の期間(=北海道雨竜郡多度志村に移動まで)
  • 1915年7月 曽祖父・官平が戸主:本籍移動、北海道雨竜郡多度志村⇒北海道紋別郡渚滑村
  • 1921年3月 曽祖父・官平が死亡(於・徳島県松坂村)により、祖父・喜平が戸主に:渚滑村
  • 1922年1月 母誕生:渚滑村
  • 1922年3月 本籍移動、北海道紋別郡渚滑村⇒徳島県松坂村
  • 1925年4月 本籍移動、徳島県松坂村⇒北海道空知郡江部乙村
  • 1927年6月 本籍移動、北海道空知郡江部乙村⇒北海道勇払郡似湾村

母の生まれは紋別郡渚滑村

1922年1月生まれということになっている母です。しかし、母の姉たちの話によると正月前には生まれていた、とか…と母が教えてくれました。
そして、とある戸籍によると母の出生は徳島県松坂村であるとか、色々に言われていました。
それで、順に調べていくと、どうやら渚滑村で生まれたとするのが良さそうな気がする、というところに至りました。

徳島への移動は、母が生まれて2か月後、徳島から再び北海道へと移ったのが母が3歳の1925年です。母は徳島のことを何も覚えていない、と言っていました。小さくて覚えていないのか、北海道に残ったのか、よくわかりません。母の姉が3年間松坂村で生活したことを覚えている、とTAKAは親戚から聞きました。松坂村で生活していたとき母が一緒にいたのかどうか、もう確認する方法がありません。当時の松坂村戸籍には「本籍地で出生」との記録があります。

雨竜郡多度志村は現在の深川市

花畔村からいつ北海道雨竜郡多度志村に移動したのか現在のところ不明です。花畔村は現在の石狩市ですが、戸籍の記録は無い、ということですから、次は深川市に問い合わせしてみようと思います。

戸籍の記録が深川市に残っていれば、花畔から北海道雨竜郡多度志村に移動した年月がわかるのではと思います。