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パワポ:プレゼンで使うのが常識?

パワポイント禁止の「波」

今朝、ネット徘徊してましたらパワポのことが載ってまして…。

日本でもまだ多くの人がパワーポイントを使ってプレゼンテーションをしていますが、営業マンに大げさなグラフィックとテキスト一杯のスライドで話をされると少し疲れてしまいます。

ウンウンと頷いた爺であります。

  • 効果に頼った画面作り
  • 読めない量の文字数
  • 見出しが視覚情報として整列・整理されてない
  • 全体が見通せない
  • 配布資料をしっかり作ってよ

以上、爺がパワポ・プレゼンタに「改善したらいかがでしょう」とお伝えしたいことです。

作成者が意図したように閲覧者が理解するとは限らない

作成者は、一生懸命パワポ・スライドをつくりますので、脳みそにストーリーもポイントも、結論も明確です。しかし、閲覧者は、大概初めてそれを見させられる…。
両者の理解が同じ絵を描いているとは限らない。

動き、効果

動きのあるパワポは一見効果的に見えるようですが、爺は否定的です。
とりわけ、(1)気分で選んだ効果の種類、(2)効果を使った見せ方が多い、というのが気になります。
(1)章見出しの動きはコレ、というような使い方であれば、閲覧側も、ああ、この動きの時は章が変わるんだ、という感覚が働きます。一方、作成者が気分で選んだ動きは…。
(2)毒をもって毒を制す、とでもいうのでしょうか。痛み止めのモルヒネ…それってアトがないじゃん、という状態です。(1)と合わせ、一定の規則性をもたせ、ここぞというときに異なった動きをピンポイントで見せる、というのが視覚効果としても良さそうです。

その文字、スクリーンに映して閲覧者が読めますか

パワポに表示できる文字数は、プロジェクタなどをつかって映し出したスクリーン上の文字を閲覧者が読めるかどうか、というのがひとつの基準になるのではないでしょうか。パワポ画面をまるでノート代わりにつかって「全原稿」を掲載しているようなことでは、パワポにする意味もなさそうだと…。

閲覧者が「区切り」を発見しやすいように…

作成者は、それこそ全部わかっていますのでどこが大きな区切りになるかとか問題ありません。しかし、閲覧者はちがうですね。
これを理解してないプレゼンタが多いのではと想像します。
章が切り替わる前には1枚白紙と余談が入る、というのも一案でしょうし、章見出しのスライドでつかうデザインとフォントは統一する、というのも一案でしょうネ。
全体が見通せないことによる漠然とした閲覧側の「不安」というのも考えてあげたら良いのかと。概略・流れ・結論を最初にコンパクトにやって、というのもありそうです。

配布資料とパワポは違うでしょ

論文AがWordで作られているとします。論文Aをパワポで発表しようとすると、爺であれば論文AのWordファイルから「見出し」タグを適宜抜出しパワポの骨にします(VBAを使えば半自動で作成できるかも)。配布資料も論文AのWordファイルから、Wordの要約機能などを使ってある程度自動的に処理できそうです。
論文Aの構成や見出しが変わっても、その時点で最新のファイルを使えば、パワポもそれなりに更新される仕掛け、というのが楽そうです。論文Aとパワポの齟齬をなくす…。
論文A、配布資料、パワポという3つのソースを別々に処理すれば齟齬も生じようかというものです。論文Aをしっかり作り上げ、その結果としてパワポがある意味「機械的」「自動的」にできる、そういったWordの使い方にこそ、パワポ成功のヒミツが潜んでいるのかもしれません。

Office

マイクロソフトのアプリ「Office」ですが、「Wordくらいつかえるよ~」という方、多いですよね。結構なことです。しかし、その機能のひとつ「スタイル」を楽に使っている人はあまり多くないのではと妄想する爺です。
「スタイル」を理解して使えば、各アプリでそれぞれのファイルを流用するという「ラク」な道も見えてこようかと…。