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大正中ごろの写真:祖父母と、おそらく父親が

まずは、写真です。
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この写真を見た覚えがないのです。父母が遺したもののなかにありました。
向かって右、立っているのが、爺から見たら父方の祖父、その左で座っているのが同祖母、そして抱っこされているのが父親、ではないかと思います。

撮影したのは、出雲 横田町 野尻写真館 となっています。多里村(当時)からは、萩山を通り峠(県境)を越えた島根県側の町です。

抱っこされているのが父親だとの確証はありませんが、我が家にあったということは、そういうことなんだろうと推測します。1歳に達していないように見えますので、撮影したのは、おそらく1919年ではないかと思います。

4/6追記:町制施行と撮影年に矛盾が

友人から町制施行が1941年7月1日であるとの連絡を頂戴しました。そうすると、撮影年1919年と整合性がありません。ご指摘いただいたような問題をはらむことになります。

さて、この問題を合理的に理解する方途があるかどうか…。

  1. 別人であり、1941年以降に撮影したのが野尻写真館で当時の台紙を使っている
  2. 写っているのはその通り1919年ころ、1941年以降に写真複製をおこなったのが野尻写真館で複製当時の台紙を使っている

いずれかでしょうね。爺には、祖父・祖母に見えるのです。実は裏書に姓が書いてあります。ある一時期事情により使っていた現在とは別の姓です。また、父親の兄弟のうち末っ子は1935年生まれで、仮に1941年以降に写したものなら、誰も赤ん坊の該当者がいないということになります。また、孫の最年長者は爺で、1953年生まれで1959年まで長野県にいましたので、該当しそうにありません。
また、姓の関係から祖母の兄弟であれば、ある程度わかりますが、今のところ該当の人を思いつかないのです。

「横田」と言えば、日南町から見てJR木次線出雲横田駅あたりになる横田町と考えるのが普通です。横田は、牛市場、牛肉、たたら製鉄、製鉄用炭焼きなどで知られています。日南町とも関係が深いと思います。