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世界「勘」

「世界観」という言葉があります。ものの見方や考え方を総括的に代表するような言葉だろうと爺は思っています。宗教を土台にした世界観もあれば、哲学、次元など切り口もたくさんありそうです。

で本日、爺は「世界勘」という造語をここにUPすることにしたです。いえね、若者が周りにいない、若者が組織の中で育たない、など、イロイロ耳に入ってきますもので、「世界勘」を働かせてみたらどうだろうかと、妄想してみたです。

このことを考えたきっかけは、地元の電子町内会の会議です。いわゆる若い世代が参加しておらず、だんだん加齢で…ちょっと行く末が心配…という状況が話になったのです。確かに、周りに若者がいない、という現象があります。

若い世代は、ネット世界に(も)住んでいると仮定したら、見通し良くならないだろうか

そこで、爺は、ではどこにもいないのか、どこかにいるのか、ということを発問してみたです。どこにもいないとなったら、手の施しようはありません。どこかにいるのです。
自転車に乗って携帯画面を見つめ、電車のなかでスマホを操作、ということで、ネット世界に浸っている若い世代がいっぱいいます。ここに、いわゆる「世界」があると考えれば、現実を説明しやすいように思いました。爺や婆が住んでいるリアルな「世界」には留守がちでも、ネット世界に住んでいる時間が多い、と。

岡山市役所が推奨する電子町内会のサイトは、いまだにフレームを使ったもので、スマホやパッドなどの表示に柔軟に対応できない現実があります。若い世代とは異なる「世界」でネット普及をはかろうとするより、対応可能なシステムに改善すれば、若い世代のネット世界に情報発信するきっかけになるのではないか、と爺は妄想します。

こちらがわの見方や道具の範囲で「若者が…いないのよね」と言っていては、留守がちのアパートに「こんにちは~」とノックをしているようなものではないかと見えるのです。別のネット世界にいると思い、そこに出かけてコミュニケーションをはかれば、新しい若者との接点が見えるのではないかと妄想…。

電子町内会でお尋ねすると、参加者でスマホを使っている人は、爺を含め0。ツイッタ、フェイスブックをやっている人はわずか。これでは、若い世代がコミュニケーションを旺盛に行っている「世界」にアプローチしているとは、言いにくいことになりそうです。現実をまず認識せんといけんですね。

スマホを使っていない爺の反省点でもありますが、ネット世界に適した道具を使い、若い世代がいるだろうと思ってやっていると、なにかが見えてくるのではないかと妄想しているところです。

twitterなどは実際に使わんとどうしようもないでしょ…。ネット選挙解禁と絡めて考える


ネット選挙が第3者を含め解禁される見通しです。となると、選挙は、事務所、候補者カー(拡声器)、選挙はがきなど「選挙の7つ道具」にネットがひとつ加わることになります。ネットを使うか使わないか、それはもう、明確で、使わないという手はありません。
すると、その世界にどれだけ深く広く分け入っているかということが問われるわけです。単にサイトでPRするというストック系のとりくみだけでなく、ツイッターなどフロー系のメディアでも十分なとりくみが必須ということになるでしょう。
誰かが代表してtwitterやっている、というのではまったくチカラ不足。主体的に参加し発信し交流する支援者がどれだけいるか、どれだけの相互関係を築くことができるか…人の結びつき、それもネット世界における結びつきが試される時代の到来、と見えてきます。

ネット世界にだけ若い世代がいるわけでもありません。リアルな人間関係、信頼関係がもっともパワーがあるだろうとも思います。そこに、もうひとつネット世界を追加するというようなイメージでしょうか。そこにアプローチしないと、はじめから街頭演説しない場所を決めてしまうとか、票読みからはずす地域をつくってしまうようなもの、と書けばわかりやすいでしょうか。有権者の数は明確ですが、ネット世界の住人はどのような数になるのか…。そのあたりも世界「勘」が働くといいですね…。