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表の回があれば、裏の回もある。とってつけたような理由はいずれ自ら被る

わかりにくいタイトルであります。
昨夕、とあるお宅で、夏の行事主催者が変更になり(地域の)町内会が担うことになったのでは、との情報。そうなった理由はまだよくわかりません。ただし、その時知らされた理由を裏返せば、春の行事は■■のやることなので、町内会が主にやっているような現状はどうなのか、という「理屈」が成立することになりそうです。

ここまで書いてもほとんどわからないですよね…。自治会と信仰、町内会と宗教、行事と宗教性など、微妙なことであります。

これまで、「長年の慣習」「宗教行事ではなく伝統行事、地域行事」などという理由をつけ、微妙なバランスの上に成り立ってきた夏の行事やそのほかの行事が結構あります。
「宗教性はない」と誰かが言っても、一方の側からは、うちではなくそちらがやるもの、異なる建付けだから町内会が引き受けるべきだ、というような理屈が持ち出されたとするならば、逆に、本来一方の側が担うはずの春の行事の実態はどうなんだ、ということになりかねません。

この種の話が、いわゆる日本的な話の範囲で収まっていればまだまだ何らかの出口があるかもしれませんが、同じ地域には同じ宗教の人しか居住していない、というような現状ではありません。微妙なバランスを一気に崩したとも見えかねない今回の「一方の側」の「理屈」は、不要のキシミをすでに生んでいるようですし、異なる宗教の方が町内役員として発言した時など、どのように真っ当な「理屈」を見つけるのか、ぜひ拝聴したいものです。

あと1か月もない状況で別ルートから知らされた主催者の変更であります。さて、いかがなことになりますか…。

この手のことに何らかの変更を加えようというのなら、丁寧に時間もかけて可能な限りの合意をつくりあげ、同時に少数者の立場を害さない最大限の配慮、などが大切であろうかと。