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原爆ドームに行ってきました

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今朝、博多からバス移動し、正午過ぎ、広島に到着しました。
すぐにバスを乗り継いで岡山まで(20分くらいで乗り継ぎ便)移動するのも一案かと思ったのですが、爺にとって「広島」は特別な場所、少し時間をとって、原爆ドームに行ってきました。

6月には、沖縄・糸満の平和記念式典を訪ね、母の弟の名前を「平和の礎」に見つけることができました。7月には、同じく沖縄、本島北部の「山原」(やんばる)で、住民と、米軍+安倍自公政権との関係で緊張高まる高江と辺野古を訪ねました。これらのことから、今年の夏は「平和」の諸問題から目を背けることができないのかということで、「広島」も記憶の外には置けないという想いがありました。

日米軍事同盟、日米安保条約、安倍自公政権による安保法制、などなど爺の脳みそにとってうれしくない刺激がいっぱいあるのです。

ベトナム戦争のことは、高校生の時に知り、社会人になって4年ばかりしたときの1975年春、ベトナムの「解放戦線」が、大国のアメリカに打ち勝ったというのが、ずいぶんとショッキングな出来事だったと記憶しています。

現在に至る爺の「世界観」の多くは、就職先の仕事場「広島」に大きな影響を受けています。
そういう特別な「ヒロシマ」です。バスの乗り継ぎとはいえ、素通りは許されない…のかと…。そういうこともあり、2時間、原爆ドームを一周し、「本通り」を歩いたのでした。「本通り」は、覚えているお店は殆どなく(単に爺の記憶が現実と照合できないようになっているのかも)、爺が生活した広島はもうほとんど「無い」のだと知るのでした…。でも「原爆ドーム」は静かに立っている…。

爺は、明らかに安倍自公政権がキライです。その彼岸にあるだろう「沖縄」「広島」は、爺自身の立ち位置を確認するためにも訪れることが必要だったのかもしれません。

広島バスセンターから午後2時半に出発、午後5時頃には岡山駅西口に到着。博多・広島・岡山の移動にバスを利用し、これまでと少し異なる旅の経験ができたのでした。

「山鹿灯篭祭り」の感想はそのうちに…。