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沖縄「平和の礎」:県庁から糸満の公園までシャトルバス

23日、那覇市国際通りを歩いていると、県庁前に看板を持った人がいました。
糸満市で行われる「全沖縄戦没者追悼式」会場まで、県庁からシャトル・バスが出ており、その案内でした。
いったん通り過ぎたものの気になって行程を訪ねたら、往復できることがわかり、急きょ乗せてもらうことにしました。

午前10時まで県庁裏庭から

約1時間くらいの乗車でした。
バス車内、隣に沖縄のオバーが着席。沖縄戦の様子を教えてくれました。戦後、南米に移住、13年後沖縄に帰ったそうです。艦砲射撃、家族の様子などを話した後「戦争だけはイケン」と…。爺の母親と同じ…コトバだ…。

母親の弟の刻銘碑は、C-12(平和の火を背にした面)

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平和祈念公園で一番行きたかった場所は、母親の弟の刻銘碑を見つける事でした。
上の写真は、碑に刻まれた名前です。
叔父は、伊号第44号潜水艦に乗艦していました。同艦は、1945年4月18日の米艦などの攻撃で南大東島の北で撃沈されました。叔父は、同年5月2日に公式戦死記録となっています。

~沖縄海域の戦闘~
 4月4日、新たな艦長の下、回天特別攻撃隊多々良隊として呉を出港、沖縄海域に向かう。想像を絶する敵の状況下であったが、司令部の方針により突入を敢行する。
 17日2320、沖縄東方海域にて米第38任務部隊第4群第47水雷戦隊所属の駆逐艦ヒーアマンのレーダーにて被探知される。2355にヒーアマンが爆雷攻撃開始、その後第53水雷戦隊駆逐艦ウールマンが共同で爆雷攻撃を実施した。
翌18日0130~0743の間、ヒーアマンと第47水雷戦隊司令駆逐艦マクコードが共同で爆雷攻撃を実施。
0851~0857に軽空母バターン搭載のアヴェンジャー雷撃機2機が爆撃実施。
1030から開始された第54水雷戦隊駆逐艦マーツ、コレットの共同攻撃により、同日午後、南大東島北北西(2642N/13038E)にて撃沈される。乗員、回天搭乗員、整備員を含む130名が命を落とす。

帰りのシャトルバスは、正午頃から

到着した時と同じ位置から県庁に帰るシャトルバスが出発。ただし、乗場に待つ人は無く、何時発という案内も見えません。
近くの人に尋ねると、だいたい正午頃から、とのことでした。最終便は午後3時頃発とのこと。

バス車内では、沖縄のオバーの傍に座らせてもらいました。大阪出身、戦後に北海道へ入植、そして沖縄へ。「戦争はイケン」とこれもキッパリとした言葉でした。米軍さんは会いたくもない、見たくもない、というような言葉もありました。

約1時間バスが県庁裏に帰着。「また来年もおいで」とオバーに言われました。去年まで一緒だった友達が高齢で来れなくなり、今年は代表で来た、と言っていたオバーもいました。形見のブラウスだとも…。