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鎌田茂雄:正法眼蔵随聞記講話(講談社学術文庫)

正法眼蔵随聞記講話」(講談社学術文庫)を「読書」したということで記事としてUPするのにためらいがある爺です。元になる「正法眼蔵」を読んだとすれば、真っ赤なウソであることがすぐわかります。でも「正法眼蔵随聞記講話」はおよそ現代日本語で書かれていますので、「読んだ」ふりをすることはできそうです。そのような妄想の記事とご理解ください。

正法眼蔵随聞記講話 (講談社学術文庫)

爺が持っている本は、おそらく、10年くらい前に買い、三分の二くらい目を通したところで、読むに読まれず…難解さに心の置きようが無くそのまま本棚の隅にあったものです。

昨日、大阪を往復しました。退屈な普通電車での時間をやり過ごすため一番はかどりそうにない本を探し選んだのが「正法眼蔵随聞記講話 (講談社学術文庫)」です。

以前は文字を追うこと自体が苦痛でした、この本。今回は、少しばかり字を見ることができました。年齢のせいかな、と思います。

爺は高校の時、国語関係の教科を一通り習いました。現代国語、古文、漢文です。使えるほどに学習したかどうかはともかくとして、40年以上前の勉強がこの年齢になって少しは役に立つのを感じました。専門科目だけでなく一般教養的に勉強する年月というのは無駄ではないのだとも思いました。

さて、本の感想です。最初と最後のあたりにおよそ同じことが書いてあります。昨日、最後まで読んで、「最初の頃はどういったことが書いてあるのだろう」と思って読み直したところ、このようなことを思いました。

著者の巧みな「輪廻」を示す構成なのか、同じことを読んでも最初と最後では感想が違うだろう、と示してくれているのかとも思いました。禅僧・道元が「正法眼蔵」について説示したことを、2歳年上で道元の弟子・懐奘(えじょう)が書き留めたものが「正法眼蔵随聞記」だそうです。それを著者が14講にしたのがこの本です。

不惜身命・只管打座を良い師について行えば必ず仏になれる、ということだそうです。実は、他にも感想があるのですが、とても、ここに書く勇気などありませぬ…シクシク。