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土地改良換地がわかる人に図面を見てもらったら

1988年春までに完了している、日南町にある田舎の家周り、主に田んぼの土地改良事業に関係したことで、気になることがあります。そこで、実務が良くわかり、土地改良換地士、測量士などの資格がある方に相談しました。

TAKAが用意したものは、公図と土地台帳の地図、などの図面です。TAKAから一応の説明が終わると、少し確認の質問があり、一枚の図面をもって別室へ。帰ってくるとコピーした図面と別のを窓ガラスに重ね、鉛筆でなぞるような作業をしていました。

その結果、「こういうことではないでしょうか」との説明をいただいたのです。驚くことに、TAKAが、こうだったら長年トラブルもなく経過してきたことも納得いくし、わかりやすい、でも、ムシがよすぎるかな~、と思っていたことズバリでした。
土地改良換地士、測量士などの資格があり実務も詳しい方、伊達に資格があるのではないと思いました。まるで、現地調査をした後のような内容のお話でした。図面から情報を読み取る能力が高いのだと…。

これまでの概略は次の通りです。

  • 1988年春には土地改良事業が済んでいる。TAKAの宅地や、隣接農地のいくつかはその時の改良事業範囲になっていない
  • 父親は、境界杭を自分で打設した
  • 2014年春に至るまで、3ないし4者が関係するこれらの境界でトラブルがあったことを、父親から聞いていない
  • TAKA自身も、隣接地所有者またはその配偶者などと世間話をする機会があったが、境界のことは話題になっていない
  • 隣接地の所有者A氏に、この5月に電話で公図などから読み取れることを伝えたところ、「自分の土地はないはず」「対象となる田は圃場整備で無くなった」の旨だった
  • A氏には、TAKAが所持する図面などを郵送した

水や土地の事は、農家にとって死活問題ですから、あいまいにはなりません。TAKAは農家ではありませんから、地元の営農活動の邪魔にならないよう、父親が遺した土地と家を守る、というような、ある意味単純な立場です。

発端は、建設省所有地にある「用悪水路」U字溝にたまる砂利を、地元の水利関係者が浚った後の堆積場としてTAKAの土地が使われ、放置されている問題なのです。溝浚い→砂利一時堆積→砂利撤去、という具合に自然な流れができていれば、問題が表面化することもなかったのです。

日南町は、「民民の問題」ということで、表に出てこられませんので、仕方なく、あちこちにお願いして、教えていただきながら、「そもそも」から目を離さないようにし、平和的でわかりやすい方法で砂利問題をはじめ関連のことを解決し、次の世代が安心できるようにしておきたいと願っているところです。そのためには、行政のチカラが必要、との思いがTAKAにはあります。

先だって日南町役場を訪れ建設関係の方とお話しさせていただいたときに、鳥取地方法務局(米子)発行の公図は、コピーをその建設の方に受け取ってもらっています。公図以外の図面等は町にあるとのことで、TAKAからの提供は不要とのことでもありました。

同じ資料を土台に、日南町役場の建設関係の方が、どのような判断をされるか、しばし、待て、という今日このごろでありました。

先に相談させていただいた方からは、TAKAがそれまで相談を持ちかける対象として認識していなかった団体名を紹介していただきました。なるほど、「そもそも」にこれも大いに関係ある、という気もちになりました。さて…