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「花畔村」「花川村」での戸籍が確認できなかった@石狩市

昨日、石狩市市民課から郵便で知らせがありました。

1897(明治30)年、花畔村での戸籍資料なし

TAKAの母方の曽祖父・祖父らは、1897年に、徳島県板野町から北海道へ転籍していることが、板野町発行の戸籍の記録でわかっています。
転籍先の北海道の戸籍が「花畔」で現在の石狩市です。石狩市からの知らせだと、徳島県板野町の戸籍の記録と対になる戸籍資料が無いということでした。

板野町(当時・松坂村)に届けていた入植予定地になんらかの不都合があって居住できず、実際の入植地が異なり、本籍も違う場所になっていたのでしょうか…などと妄想が膨らみます。

同時に問い合わせていた、徳島県板野町の戸籍記録で確認できる、1902(明治35)年12月石狩郡花川村から祖父・喜平に嫁いできた祖母・あと、の戸籍資料も無いそうです。

「花畔村」「花川村」とも現在の石狩市に含まれます。

次は、紋別郡渚滑村が手がかり…

手元には、1923(大正11)年3月に、いったん3年間ばかり徳島県に転籍する直前の本籍は、「紋別郡渚滑村」(現・紋別市)であることが、徳島県板野町発行の戸籍資料にあります。

次は、紋別市に該当があるかどうか、戸籍の写しを発行するよう、郵便を送るです。ということで、紋別市に本日、郵便を送りました。