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木山寺(岡山県真庭市)、入口に鳥居

木山寺(岡山県真庭市木山1212)に行きました。階段の手前に赤い鳥居、階段を上がり不老門をくぐるとさらに銅葺きと思しき鳥居がありました。
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↑最初に目に入る鳥居。ここはお寺だよね…。
↓境内には「木山宮」の常夜灯、お狐様の石像
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恥も外聞もない爺は、社務所、待て、立ち止まって考えよ。ここはお寺だから寺務所か…な? ま、とうことで、「鳥居があってお寺って珍しいと思うんですが」と尋ねるともともと神社とお寺がひとつだった過去があり、明治政府の神仏分離政策で別れた、とのことのような説明でした。

木山寺、木山神社はもとは神仏習合で、木山宮(きやまぐう)として、多くの人々の信仰を集めてきましたが、明治時代の神仏分離政策によって、木山寺と木山神社に別れました。
ご本尊は、医王の霊薬をもってあらゆる衆生の病気や迷いを救われる薬師如来。鎮守神の木山牛頭天王は薬師如来の化身で、除災招福の大願を成就されています。
善覺稲荷大明神は、ご本地十一面観音の化身で、正徳年間(1714年)京都伏見稲荷より勧請された明神様です、勧請し祀った僧が善覺という名僧で、その徳を称えて善覺稲荷と呼ぶようになりました。
木山寺は、商売繁栄、五穀豊穣、開願成就、交通安全の願いを叶えられ、広く中国各地で崇敬帰依されています。
また、木山寺は中国観音霊場第四番札所として、多くの方々が巡礼に訪れています。>> 記事掲載WEBサイトの頁へ

山奥で分離が徹底しなかったのか、地方の行政官が適当に報告したのか、地元の信仰が篤く完全な分離を許さなかったのか、それとも、「オヌシモワルヨノォー」などと権謀術策を駆使したのか…。いや、そんなはずはない。霊験あらたかでご加護の多い場所です。治まるべき姿になり今日を迎えたのでしょう。
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↑額に書いてあるのは神様の名前のようですが、それも仏教的には「木山牛頭天王は薬師如来の化身」「善覺稲荷大明神は、ご本地十一面観音の化身」(同寺サイト)と説明されています。

化身


「化身」…なかなか見事な説明です。それを引合いにだし、爺も自分がなにかの化身であろうかと思うことにしたのですが、功徳を積みすぎて諄(クド)くなりすぎたのか、「正体」がわかりませぬ。妻にもそれがわかるはずはなく、顎と目線、指先でいともたやすく爺を指揮命令系統の下に配するという傍若無人な振る舞いが闊歩する日常が繰り返されるのでありました。いずれ、神仏の罰があたるであろうと…。それが妻なのか爺なのか、これから修行して見通さねばなりませぬ…シクシク。

木山寺