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物撮り:ラジオ R-2200、Panasonic

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物撮り:ラジオ R-2200、Panasonic
母親が使っていたラジオです。眠気眼で周波数のダイヤルなどを動かしたりしないようしたセロテープの痕跡があります。汚れも見えますが、まあ、記念品みたいなものなので、あえてそのままで写しました。
同調の赤ランプ、手持ちの時はハッキリと点灯するんですが、撮影位置に置くと消えます。アルミとかに囲まれ、電波状況が良くないんでしょうね…。

一晩中つけて寝ていたのですが、眠れないからラジオを聞くのか、ラジオを聴くから眠れないのか、とうとうわからずじまい…。

物撮り:蛇紋岩

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蛇紋岩

蛇紋岩[写真上]を撮りました。左からの光の強さを%表示しています。右側に小さ目の銀レフ(ざらざら)があります。上の光と左の光100%はほぼ同じ強さの光です。なお、シャッタ速度、絞り値は変えずに撮りました。

蛇紋岩は、父親が若松鉱山に勤めていたころ、クローム鉄鉱の廃鉱石から探し、磨いたものだと思います。

先日、日南町の家の中を片付けているとき見つけ、磨いてみようと思い持ち帰ったのですが、石の粉塵、道具の置き場など考え、西大寺では如何にものことであるかと…反省中。

饅頭根付の刻み煙草入れとかます

2021年7月3日追記:GoogleAdSenseサイト運営者向けポリシー関係
この記事は「タバコ」を理由として「一部の広告主がお客様のページに広告を掲載しないよう選択」と通知されました。
たばこに何らかの関連がある記事と判定されたことに異論はありません。ただし、過去(何十年も前)に鳥取県日南町で生活した「記憶」の一部として父親が使っていた、という主旨の記事と写真です。現在となっては、「刻みたばこ」「キセル」「かます」はある種珍しい物かと思っています。こういう時代・生活があったという事実を残すことに対し、別の立場から「広告掲載しないよう選択」があったことは、それはそれで尊重するしかありません。
掲載が禁じられなかった、という点にも注目しつつ、このまま掲載を続けます。
記事は喫煙を推奨しているわけではありません。筆者も禁煙したひとりです。

2022年6月12日追記:前項と同内容での通知が10日付でありました。このまま掲載を続けます。

饅頭根付の刻み煙草入れとかます

昨日、日南町の家を片付けていまして見つけました。
表題がわかりにくいですが、三つの部分からなっています。先頭写真の文字の通りです。これに長さが合致する煙管(キセル)、刻みタバコの現物があればバッチリなのですが、ありませんでした。

父親が刻みタバコを吸っていたというのはわずかな記憶しかありません。記憶にあるのは、ゴールデンバット、しんせい、エコー、わかばなど比較的安いたばこをくわえていたのかと…。

手にしたとき「饅頭根付」がわかりませんでした。脳みそにある「根付」のイメージは何か細工がしてあり、神様、動物、植物をはじめ趣味や仕事に関係する道具などなどが一般的かな~という感じでしたが、実にシンプルな今回の根付であります。あえて言うなら、何の細工もなく単に帯に止めるための、というものであります。

饅頭根付の刻み煙草入れとかます
饅頭根付の刻み煙草入れとかますの内側

煙草入れの表に見える留め具を兼ねたのは何でしょう。ご存知の方がおられましたらご教示のほど。

「かます」はキセル入れのこと…。

11月11日、多里神社の秋祭り

FB[多里まちづくり推進協議会」見てましたら、秋祭りのことが載ってました。
懐かしいおまつりです。境内では相撲大会があったのをおぼえています。露天屋台が参道・境内にいっぱい、通路は人がぶつかり合うほどギュウギュウ状態…。

そういえば、ソフトボールを境内でして、ホームラン状態のあたりだと神社の戸板をボールが打ち抜くという(何件も、何人もが)「事件」も記憶しています。アリジゴクもあったな~。昭和30年代後半から同40年代初めころの記憶…。

そういえば、この神社で神楽舞があって、暖かくして何時間か見た記憶もあるな~。むかしは夜通しやっていたのかな?今はどうなんだろう?

机などを処分

爺がご幼少の砌(みぎり)使っていた机です。

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引き出しを見たら、「坂北村鋼管事務所行」と白墨で書いてありました。

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坂北村鋼管事務所行

爺が記憶であるのは小学校低学年で使っていたのかも、というような内容です。長野県の片田舎で小学校入学、1年生の1学期に鳥取県日南町内へ転校したので、日南町の時の記憶がある、というようなことかと思います。

しかし、白墨によると、長野県東筑摩郡坂北村の宛先へ送っているような印象です。つまり、1950年代初めころに書いた白墨の字ではないかと想像してみました…。

父親が、前住所から坂北村へ送ったか、どこかで買って坂北村へ送ったか。住居は生坂村重というところでしたが、事務所はすぐの距離だったと覚えています。

昨日、日南町の田舎の家に行きまして、ある程度片づけしましたが、家具類などは全然手付かずでそろそろ帰ろうかという頃、道路に近い側にある建設事務所の方がゴミ台車が容量あまっているので、家財で不要なものがあったら放り込んでイイヨ、といってくださったので甘えて、食器棚、学習机、椅子などの木製品を切断して小さ目にして入れさせていただきました。

最低でも60年位は縁のある机でしたが、ゴミにしました。家の中に隙間がだいぶできました。まだ、畳を捨てなければなりません…。

若松鉱山の概要

鳥取県日南町にあった若松鉱山に父親は勤めていました。爺は、多里中学校を卒業しました(小学校入学・卒業、中学校入学は別校)。

表題「若松鉱山の概要」(B5判・袋とじ・謄写版印刷・4ページ)が、田舎の家にありました。父親の鉱山関係の書類のなかにありました。同概要は若松鉱山が作成したもののようです。制作年月はわかりません。なお、一緒に「保安委員会議事録」(昭和38年6月10日付)というのがありました。

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若松鉱山の概要

ローム鉄鉱、明治30年島根県仁多郡の藤原某発見

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ローム鉄鉱、明治30年島根県仁多郡の藤原某発見

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伯母の写真(1930年代ころか)

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  • 下左:1932年6月の伯母。母より16年年長で二女。ちなみに、母は八女でした。札幌で撮ったみたいです。
  • 下右:立っているのが母。撮影年不詳だが…
  • 上左:伯母かぞえ33歳頃
  • 上中:1936年12月の伯母
  • 上右:伯母かぞえ35歳頃

伯母の年齢は、写真裏の数字から想像。左上の伯母の和服柄と右下のそれが同じようです。伯母がかぞえ33歳ころとすれば、母は17歳頃ではないかと思います。